会 社 ご 案 内
【会社名】 諫早生活食品工業株式会社
【所在地】長崎県諫早市永昌東町6番19号
【業種】食品添加物製造業
【食品衛生管理者】 大和眞澄
会 社 沿 革
1954年(昭和29年)4月 諫早生活食品工業株式会社 創設
大和富康・公子
1957年(昭和32年)7月 諫早大水害 一階全水没
1962年(昭和41年) 事務所及び工場 新築
1969年(昭和44年) 大和眞澄 入社
1995年(平成7年) 大和宏治入社
2002年(平成14年)大和眞澄 食品衛生管理者に就任
2020年(令和2年)事務所建替え
昭和29年創業時の看板

社内の片付け中に出てきた
なつかしの
昭和の道具たち
なつかしの
昭和の道具たち
農家の食生活のために
1954年(昭和 29年)戦後のまだ物のない時代に、父 大和富康が、「農家の食生活の向上のために奉仕する。」として、「諌早生活食品工業株式会社」を立ち上げました。まず最初は、濃縮した「醤油の素」を発売しましたが、各ご家庭で希釈して醤油として料理に使用しました。現在、醤油は、店舗で購入するのが当たり前の時代になりました。
その後には、たくあんの素「黄金」や「味噌菌」「漬物用ポリ袋」も始めました。これらはお陰様で、現在まで続いています。当時は、自宅、事務所、そして工場も同じ場所でしたので、雨の日、小学生の私の傘からは黄色のしずくがしたたっていました。それも、今では懐かしい思い出となっています。
その間には、「つくだ煮の素」や「ジュース」「寒天」なども製造していました。農家が温州みかんでジュースを作っていた時期には、「打栓機」「王冠」それに原料としての「クエンサン」「エッセンス」なども発売していました。
その後には、たくあんの素「黄金」や「味噌菌」「漬物用ポリ袋」も始めました。これらはお陰様で、現在まで続いています。当時は、自宅、事務所、そして工場も同じ場所でしたので、雨の日、小学生の私の傘からは黄色のしずくがしたたっていました。それも、今では懐かしい思い出となっています。
その間には、「つくだ煮の素」や「ジュース」「寒天」なども製造していました。農家が温州みかんでジュースを作っていた時期には、「打栓機」「王冠」それに原料としての「クエンサン」「エッセンス」なども発売していました。
「食卓に笑顔を」
昔ながらの自然の力で支えます
昔ながらの自然の力で支えます
「食卓に笑顔を」という経営理念のもと、商品を通して永年多くのお客様に食の大切さをお伝えして参りました。取り扱っています麹や漬物の素は、創業当時の味を大切にし、昔ながらの自然の力で健康と安心を考えながら、日本独特の発酵や麹、日本の漬物、また、和風ハーブといわれる、ネギ、生姜、シソ等も大切に考えてゆきたいと思っています。
守り続けた手作りの味
弊社工場内には、代々受け継がれてきた食品工場の道具があります。粉末を同分量づつ多量に量るための秤も、その一つであり、歴史を感じる佇まいです。自動で量れる機器の導入を考えた時期もありましたが、やはり手作業にはかないません。老舗の計量器会社が手動秤の製造を中止したため、他社の秤を購入しましたが、やはり老舗メーカーの古い秤の方が、使い勝手が良いようです。
諫早生活食品工業オリジナル商品である「たくあんの素」と「高菜漬の素」を目視確認して、梱包する際も、一品一品に愛情をもって丁寧に行っています。「ポリ袋」もまた同様に、細かいキズやシールの細かい不備などを一枚一枚、目視確認しながら、たたんで梱包しています。これが弊社の真心です。お陰様で、70年もの永年にわたって、多くの方々にご愛用頂いています。
諫早生活食品工業オリジナル商品である「たくあんの素」と「高菜漬の素」を目視確認して、梱包する際も、一品一品に愛情をもって丁寧に行っています。「ポリ袋」もまた同様に、細かいキズやシールの細かい不備などを一枚一枚、目視確認しながら、たたんで梱包しています。これが弊社の真心です。お陰様で、70年もの永年にわたって、多くの方々にご愛用頂いています。
私たちの歴史
諫早大水害を乗り越えて。
諫早大水害を乗り越えて。
弊社創業間もない1957年(昭和32年)7月、「諌早大水害」が諌早市を襲いました。「諌早大水害」は死者・行方不明者500名以上、3000戸の建物が被害を受けた未曾有の大災害です。当時、本明川に近い当社も1階部分天井近くまで浸水し、甚大な被害を受けました。いろんな出来事を乗り越えて、約65年続く「諫早生活食品工業」これからもたくさんのお客様に、食のありがたさや大切さを伝えてゆきたいと思います。
昭和41年、現在の場所に移転。さらに今回、令和2年の新築にともなっての片づけの中で工場の倉庫から、水害を乗り越えた当初の看板(木製墨書き)が新聞紙に包まれて見つかり、感慨ひとしおでした。
近年、全国各地で大災害が起こっていますが、東北の津波の濁流の画面を見るたびに、幼いころの諫早大水害時の、真夜中の真っ暗闇の中での、雷と濁流の恐ろしい記憶がよみがえります。
全国の被災地の皆様も、一日も早く乗り越えて、立ち直ってくださることを願っています。
昭和41年、現在の場所に移転。さらに今回、令和2年の新築にともなっての片づけの中で工場の倉庫から、水害を乗り越えた当初の看板(木製墨書き)が新聞紙に包まれて見つかり、感慨ひとしおでした。
近年、全国各地で大災害が起こっていますが、東北の津波の濁流の画面を見るたびに、幼いころの諫早大水害時の、真夜中の真っ暗闇の中での、雷と濁流の恐ろしい記憶がよみがえります。
全国の被災地の皆様も、一日も早く乗り越えて、立ち直ってくださることを願っています。